大迫ゆきえヒストリー

⑥頼れない性格になるきっかけ

母のパートの収入と貯金で我が家は生活していました。

中学に入ると働かない父がいる家に帰りたくない私は
部活が終わっても門が閉まるまで学校にいました。

中学生なのでもちろん女子特有の揉め事には
巻き込まれていたので学校も家も居心地が悪かった。

そして中学2年になりました。

我が家の家計はどんどん悪化し、両親は私に

「高校に行かずに働いてくれ」

と言いました。

私は『通訳』になるため勉強を頑張っていたし、外大に通うことを
目標としていたので高校にすら通えないとは思いもしませんでした。

なんとかしないと高校に通えない。

私は思いつきました。

小さい頃からずっと貯めていたお年玉!

母から全部貯金するように言われて口座に振り込んでもらっていました。

確か40万円はあったはず!

それを入学資金にして奨学金を借りて公立高校に通う!

母からは「そんなお金もうないよ」と言われました

私は怒りました。

しばらく両親とは口を聞きませんでした。

家計が苦しいのはわかっていた。

わかっていたけど無断で私のお金を使っていたことが許せませんでした。

今では両親も好きでそうした訳じゃない、仕方なかったんだと理解できます。

その時の私は受け入れるのに時間がかかりました。

しかし、人生を諦めたくない私は先生に相談したり
高校に通うにはどうすればいいか情報収集を始めました。

親には頼っていられない自分でなんとかしないと!その一心でした。

どうすれば高校に通えるのかインターネットが普及していない当時
先生に相談したり学校からもらえるプリントなどで
情報を集めるしかありませんでしたが必死に探しました!

わたしが行き着いた答えは母子家庭になること!でした

母子家庭になれば助成を受けれたり、奨学金が借りやすくなったりする。

働いていない父はいるだけで何の役にも立たない。

父がいるというだけで助成も受けられない。

デメリットしかない!

これは母に父と別れてもらおう、と思いつきました

私「離婚してほしい」

母「いいの?」

また同じように私の決断に委ねて離婚を決意しました。

もしかしたら離婚したかったけど我慢していただけかもしれません。

パートに出る時と同じでそこから離婚まであっという間でした。

自分で決めたこと。

でも最後に父が出て行く日のことは今でも忘れられません。

寂しそうに私の頭を撫でて出て行きました。

私は酷い親だと思っていました。

働かないで私を進学させてくれない。私のお金を使い込む。

勝手な親だと思っていました。

今、振り返ると父には父の事情があってできなかっただけかもしれないな

と思えるようになりました。

ちゃんと愛してくれていたのに気付けていなかったですね。

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