出産して1ヶ月後夫の仕事の都合で地元から遠く離れた土地へ引っ越しましたそれまで一度も来たことのなかった所で言葉も微妙に違う早口で何を言ってるか聞き取れない友達も遠くなり実家も遠いそして専業主婦になった私は毎日子供と夫と
子供は欲しいけど正直不安でした私なんかがちゃんと産めるのかな私なんかがちゃんと育てられるのかなみなさん少なからず感じることかもしれません私はその感情がかなり強い方でした頭にはずっと母の言葉がありました『あんたには子育てはできへ
妊娠がわかりまずは夫に報告しました夫は複雑な家庭環境で育ったので家族を大切にするタイプではないと勝手に思い込んでいましたが、その割には子供ができたことは素直に喜んでくれましたそして次に母に報告一番喜んでくれると思っていました
21歳その頃、私は昼間の仕事と夜の仕事を掛け持ちし、仕事ばかりしていました毎日毎日全力で働くことにだんだん疲れてきていました夜のお店の経営も売上が伸びると体力がついてこなくなり2年ほどして別の方に店を譲ることに
高校を卒業後、私はすぐに一人暮らしを始めましたそれは母と離れたかったから生活費を稼ぐために進学させてくれなかった母どうせ生活費を払うなら自分のために使いたいと思ったからです都会で一人暮らしをするのは結構金銭的に大変でした
高3の春父は離婚後、同じ市内で暮らしていました時々、父の家にも顔を見に行っていましたしばらくバイトで忙しくて父に会いに行けない時期がありましたそんな時、父と道で偶然会いました別人かと思うぐらい歩き方に違和感がありました
進学を諦める小さい頃から『通訳』になりなさいと言われてきました私は『通訳』になるため勉強してきましたどんな仕事なのかいまいちわかってなかったけど大人たちが勧めることは間違っていないと思っていたからですそれまでの私の人生
父が出て行き、3人で暮らしていたマンションは家賃が高かったため引っ越すことにしました新しい家賃の安いマンションは通学路の電柱に吊るされた住宅情報紙から私が探したところです子供ではできない手続きは母にやってもらい、それ以
母のパートの収入と貯金で我が家は生活していました。中学に入ると働かない父がいる家に帰りたくない私は部活が終わっても門が閉まるまで学校にいました。中学生なのでもちろん女子特有の揉め事には巻き込まれていたので学校も家も居心地が悪かった。そして中学2年になりました。我が家
小5のあの日から我が家の生活は一転しました父が役員を務めていた会社が倒産親戚の社長や会長は夜逃げそのため会社の借金は父と叔父が背負うことになりました父はこの時すでに52歳ずっと上の立場で仕事してたプライドの高い父は再就職に苦労